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矢野園 矢野店蔵と当主の居室 展示についてEXHIBITION

 矢野家の初代当主、久左衛門が近江国蒲生郡日野から当地へ来たのは
 1717(享保2)年のことと伝えられている。

 以来、雑貨の行商から身を起し、二代久左衛門が現在地に清酒醸造の
 店を構え、屋号を近江屋とし自身は近江屋喜兵衛と名のる。
 そのかたわら質商を営み、次第に財を蓄積していく。

 四代久左衛門のとき、味噌・醤油醸造も手掛け、1791(寛延3)年
 には、ゑびすや清次郎の清酒株を得て、商売を発展させた。

 さらに、1868(慶応4)年、七代久左衛門は今泉村の名主
 石原丈助の醸造株400石を借り受け増石。

 この頃には、店構えの様子は、ほぼ現在の間取りと同じ規模と
 考えられ、土蔵は逐次、増設していったものと思われる。

 1873(明治6)年、八代久左衛門は、醸造部門を本店、荒物・
 薬種・染料部門は支店とした。

 現在の矢野園・脇の通称酒屋小路の南側の地である。河窪三袋の
 「四阿街況図」はこの時に書かれたものである。

 1902(明治35)年、九代久左衛門は、新たに呉服・太物部門を
 増設し、営業範囲を拡げていく。

 十代久左衛門は、1927(昭和2)年、本町五丁目へ桐生で最初の
 百貨店を開店(矢野呉服店)し翌3年に銘茶部門を創設し、それぞれを
 支店とした。

 本居室は2階建て木造和風建築で日本間の二間(8畳・9畳)から
 なり、通り側の店舗階上の10畳二間とは別に棟を構成する。

 昭和戦前期までの矢野商店の経営方針は、当主の委託を受けた支配人が
 商売を取り仕切っていた。

 支配人はこの居室を使用した。当主は、年に一度、国許から当主が
 各営業地を廻り、来桐した折には各種帳面類の精査と勘定の把握、
 営業方針の確認などをするため、通りに面した店階上の二間を使用した。

 通常、支配人は店と地続きの1階で執務をした。支配人は年数回、
 近江(滋賀県)へ赴き営業報告をした。

 店員(奉公人)は、日野出身者で固め、妻子を国元に残し、単身赴任と
 いう形態をとった。

 年に二回、60日から90日間ほど、国元へ帰国させ、帰国の際は必ず
 当主宅を訪問して営業・近況報告をするという帰休制度を採用した。

 身分は、後見人、支配人、支配脇、回り役、店番、小僧という序列が
 あり、商売にあたっては自らを律し、信用第一に考え、目先の利益を
 追うよりも堅実に顧客と互いに利益を分かち合う共存共栄を旨とした。



1階(写真をクリックすると大きく表示出来ます)
 
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お問い合わせは 株式会社矢野園 
TEL 0277-45-2925 FAX 0277-45-2935
まで、お願い致します。


〒376-0011 群馬県桐生市本町2-6-30

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